以下、このページ(ジョンのふなはじ探検隊 番外編~海老川のはじっこ編~)のメインコンテンツです。
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2012-02-23
ジョンです。
地図の境界線を辿って船橋の「はじっこ」を探す旅。
毎度おなじみ、流浪のマイク犬、
ジョンのふなはじ探検隊。
今回はふなはじ番外編として
「海老川のはじっこ」をご紹介します。
まずはジョンメモから、海老川についてご紹介しますね。
船橋で知らない人はいないこの海老川。
水源は高根町付近とされ、南に流れて東京湾へ注いでいます。
その距離は8.0~。
二級河川ですが、「海老川水系」の本流とされ、
小さくても、一本で独立している立派な河川なんですよ~。
今でこそ護岸整備されて小さな川となっていますが、
江戸時代は水量が多く、東京湾付近の下流では、
「五大力船が方向転換できるくらい広かった」そうです。
↑この説、どの文献調べても出てくるフレーズなんですけど、
そもそも「五大力船」って何ぞや、となりますよね。
というわけで、皆さまの意図を勝手に汲んでジョンが調べました。
「五大力船」とは、江戸時代に活躍した廻船の一種で、
まあ、言うなれば「貨物用の船」です。
河川や運河が多く、水上交通の発達した関東周辺で活躍したローカル船らしく、
その大きさは、全長9.4m、幅2.4m、積載量は7.5tもあったそうです。
しかも海にも川にも対応できるように、船底を浅瀬用に工夫している、
現代で言えば海川両用ハイブリット船だったわけですね~。
そんな船が海老川の下流でのんびり方向転換してる姿を想像すると、
昔は相当豊かな流れの川だったという事がイメージできます。
まあ、その分、水害や河川の氾濫もあったと思われます。
現在は、以前もこちらでご紹介した「海老川水門」があるので、
海の水が市街地を襲う、という事はないようですけどね!
おっと、また話がマニアックな方面へ飛んでしまいました。
ちなみに鎌倉時代以前では「太白川(おおいがわ)」と呼ばれていたらしく、
海老川に名前を変えた由来は諸説あります。
言い伝え的にイケてるのは、船橋へ遠征にきた源頼朝公へ、
名産の海老を献上した折、たいそうお気に召されたから、という説。
次に、太白川が海老のように蛇行しているから、という見たまんま説。
…蛇行なら蛇でもいいじゃん、という気がしないでもないですが、
確かに海老川ってくねくねしてる箇所もありますよね。
それから、手長海老がたくさん採れたから、という、特産物説もあります。
でもこの特産物説は、結果的に頼朝公の話につながりそうですから、
個人的には特産物の海老も含めた頼朝公説を推したいですね!
で、今回のメインテーマ、この海老川の「はじっこ」ですが、、
周辺をいろいろ見て回った結果、
海老川十三橋めぐりのトップバッターである「船橋橋」の所がそうじゃないかなあ~と、
思って、ここを勝手に「えびはじ」と認定します。
ちなみに「船橋橋」のテーマは「海へのロマン」
彫像はカッパの親子になっていて、お父さんカッパが船橋港を眺めています。
余談ですが、以前、ウチの坊ちゃんと自転車に乗っていて、
この橋付近に差し掛かった時、
「ここはえびがわ?」
「海ですよ」
「じゃあ、えびうみだね」
なんて会話があった事から、我が家では船橋橋から船橋港までの、
ちょっとの間を「えびうみ」と呼んでいたりします。
ちなみに、この「えびうみ」付近では、
引き潮に流されてきたコイが、上流に戻ろうと、
必死で泳いでいる姿を見ることができたりするので、
生物観察にも向いてます。
上流に戻った鯉は、もしかすると龍になれるのかもしれませんね。
まあ、冗談はさておき、桜の頃にでもなったら、
今度は水源付近の「えびはじ」を探索してみたいと思いま~す♪
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